見えるようになっただけだ…
完璧な職場というものを、近藤はまだ見たことがない。 新しく移った事務所は、よく整っていた。広く、明るく、無駄がない。 白い壁際には大きなホワイトボードが据え付けられ、プロジェクトの進捗が色分けされている。 誰が見ても状況が分かる——そう設計されているはずだった。「どうだい、近藤君。見事なものだろう? 徹底した5Sの賜物だよ」
総務の佐藤が、どこか誇らしげに言った。 近藤は頷き、ボードに視線を走らせる。 違和感はすぐに見つかった。
日付が古い。二週間前で止まっている。「これ、更新は誰が?」
「各担当者だよ。まあ、忙しいからね」
佐藤は軽く笑って、そのまま去っていった。
見えているようで、見えていない。あるいは、見ないで済むようにできている。 その日の午後、近藤は倉庫に向かった。 入口付近は整っている。だが奥へ進むにつれて、空気が淀む。 「保留」「予備」「念のため」。もっともらしい言葉を貼られた段ボールが、壁のように積み上がっていた。 捨てられてはいない。
ただ、見えない場所に移されただけだ。
翌日、近藤はラベルを手に倉庫に立っていた。
「何をしてるんだ?」振り返ると、田中がいた。腕を組み、こちらを値踏みするように見ている。
「ラベルを貼ります。日付と、責任者と、期限を」
「余計なことを増やすな。現場はな、“余計なことで止まる”のが一番怖いんだ」低い声だった。
経験に裏打ちされた言葉だった。近藤は頷いた。 「分かります。だから、止まる原因をはっきりさせたいんです」一つの箱を指差す。
「これ、いつ使います?」
「分からん。だが、使うかもしれない」
「その“かもしれない”は、いつまでですか」田中は答えなかった。
近藤は黙ってラベルを貼る。《保留:7日 担当:田中》
「勝手なことを」
「7日経っても必要なら、残しましょう。そうでなければ、その時に考えます」それ以上は言わなかった。
—三日後。
倉庫の一角に人が集まっていた。
「なんだこれ……」ラベルの多くが期限を過ぎ、赤く塗られている。
「こんなに要らないもん、抱えてたのか」誰かが呟いた。
田中は何も言わず、その光景を見ていた。
—ホワイトボードにも、ひとつだけルールを加えた。
更新されていない情報は、「未完了」とみなす。 朝礼でそれを伝えたとき、空気がわずかに張り詰めた。
「それじゃ、全部遅れてるように見えるだろ」
「現実がそうなら、そう見えた方がいいと思います」近藤は静かに言った。
—その日の午後、電話が鳴った。
「今日出荷のはずですが?」受話器を取った担当者の表情が固まる。 室内の空気が一瞬で変わった。担当者はホワイトボードを見る。
更新されていない。 つまり、未完了。
実際には、作業はほぼ終わっていた。 ただ、最終確認だけが抜けていた。「……すぐ確認します」電話を切ると同時に、現場が動いた。 確認、修正、再確認。出荷は、ぎりぎり間に合った。
もしボードが“完了”を示していたら、その抜けは見逃されていたはずだった。
—一週間後。
倉庫は軽くなっていた。通路が見える。 ホワイトボードの前には、自然と人が集まるようになった。 更新は義務ではなかった。 だが、更新しなければ困る状態になっていた。
—夕方、部長がぽつりと言った。
「前より散らかって見えるな」机には資料が出ている。
ボードには未完了の印が残っている。誰も否定しなかった。
「でも、仕事は早くなっています」誰かが言った。
部長はしばらく考え、近藤を見た。
「何をしたんだ?」近藤は肩をすくめた。
「見えるようになっただけです」一拍おいて、続ける。
「問題が」
–問題は、なくならない。 ただ、見えなくしていただけだ。 そして、見えない問題は、必ずどこかで膨らむ。
近藤はそれを知っていた。
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